芦屋人たちの軌跡 スペシャルゲスト・インタビューVol.11
(テキスト記事はこちらからご覧ください。)



芦屋市立美術博物館館長 廣瀬忠子さん(ひろせ・ただこ)~前編~
今回は、地元・芦屋の名士のお一人でもあり、芦屋市婦人会会長、芦屋ユネスコ協会会長など多方面でご活躍されている廣瀬 忠子さん(84歳)にインタビューしました。2011年4月に芦屋市立美術博物館館長に就任され8カ月。
現在の心境や、ご家族の話などを語っていただきました。
今回は、インタビューのため芦屋市内にある廣瀬さんのご自宅にお伺いさせていただきました。
少女時代に使っていた思い出が詰まった本棚や子どもの頃に食卓に飾っていたシャンデリア等いわゆるモダニズムと言われる歴史あるインテリアを大切に修理して使っているそうです。
現在84歳の廣瀬忠子さん、とても元気そうにお見受けするのですが健康の秘訣などありますか?
「いえいえ、私ほんとは持病があるのよ。だけど元気!毎朝近くの公園に体操に行ってるの。今朝で1906回目だったわ(笑)雨の日や朝からお出かけの時はお休みするから1年で150回位。講演会をお引き受けすることも多いから、他の方にご迷惑をおかけできないでしょ?体調管理には十分気をつけています」
芦屋市立美術博物館の館長に就任され、8カ月が過ぎましたが、今までと違った企画・催し等が開催されたと聞きました。どのような取り組みをされているのですか?
「2011年4月から私や学芸員さんをはじめメンバー全員新しくなりましたから、何がどこにあるかから始まり、最初はとにかく大変でした。でも、市民のための、市民が喜ぶようなものを早く見つけて皆さんにご提供したいという気持ちが大きく、まず蒼山日菜さんのレース切り絵展を開催しました。
また、主な館蔵品が昨年度末に所有者の方に返還されましたが、展示品としてまた使ってほしいとお申し出をいただき、館蔵品が戻ってきております。そのお気持ちに応えられるように色々な角度から芦屋市立美術博物館を盛り上げていきたいと思っております。昔、市立美術博物館にあったベーゼンドルファーという名器のピアノが芦屋ルナ・ホールから戻ってきたので、ミュージアムコンサートも開催しております。たくさんの人がその音色を楽しみに訪れてくれています」
レース切り絵展では、来館者数は昨年の30倍になったそう。限られた予算の中で市民の関心の高いものを選び来館者数を飛躍的に伸ばした廣瀬さん。館長としての功績は大きいですね。
「今まではうまくいっておりますが、これからはせっかく返していただいた館蔵品を大事にして、皆様にお目にかけられるようにしたり、芦屋発祥の世界的にも有名な具体美術を世界に発信していきたいと思っております。また、市民のニーズにあわせたものを企画したいですね。小さい頃から美術館に足を運ぶと大人になっても美術館に来るんですよね。だから、そういう意味で各世代にあわせた企画をしていきたいと思っております。夏休みには、子どもたち向けの「ゴッホになろう」という企画でみんなでひまわりを描いたりしました。阪神間、特に芦屋という地域は文化に対する意識が高い地域だと思うんですよ」
日本の父の日について、廣瀬さんのお母様が提唱されたお聞きしておりますが…。
「父の日は、戦争で父親を亡くした園児が“お父さんのことを知りたい”と話したのを当時芦屋市婦人会会長をしていた母(廣瀬勝代さん)が聞き、1953年の婦人連合会全国大会で“戦争で父親をなくした子どもたちのために父の話をする日をつくろう”と呼びかけ、採択され、広まっていったそうです」
その他、ご家族のエピソード等があれば教えてください。
「戦後の話ですが、戦争が終わってしばらくすると復員兵が戦地から帰ってきました。下関から電車で帰ってくるのですが、(当時の国鉄)芦屋駅で40分程停車するんです。何か出来ないかと思った母は、婦人部の方に声をかけ、それぞれ一握りのお茶の葉とお茶を炊くためのマキを1本持ち寄り、熱いお茶を淹れて復員兵の方に差し上げました。復員兵の方は、熱い日本茶を飲んでやっと日本に帰ってきたと実感した・・・と涙を流して喜んでくれたそうです。この話を新聞社が記事にし、その記事を読んだ米軍が復員兵にお茶に飲ませるとはどういうことか!と責任者である母を連行していきました。ところが、母はマッカーサー元帥に「敗戦したとはいえ、疲れて帰って来た兵隊さんにお疲れ様でしたとお茶を出すことの何が悪いのでしょう。あなた方のお母様もきっと同じ思いで同じことをされるでしょう」と啖呵を切り、何のお咎めもなく帰って来たそうです」
「またある日、JRで大阪と三宮の間に1分間快速電車を停めるという噂が流れ、母は私の手を引いて婦人会の人たちと芦屋に停まるようにお願いに行きました。当時、西宮の方が大きいし有力だったのですが、芦屋に快速電車が停まることになりました。これが今の芦屋の発展に少しは役立ったと思っております」
「今日は、キムタクとイチローのどちらとお出かけしようかしら…」と廣瀬さん。杖をついていても楽しく外出したいとの思いで、杖にニックネームをつけて「今日は誰とお出かけしようかしら♪」とユーモアたっぷり、前向きに人生を楽しまれています。廣瀬さんの楽しい会話で、場が明るくなります。
インタビューは次回に続きます。お楽しみに!
※掲載している情報は、2011.10.20の情報です。
そのため記載内容が、最新のものと異なる場合があります。
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