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芦屋人たちの軌跡 スペシャルゲスト・インタビューVol.5
(テキスト記事はこちらからご覧ください。)

芦屋在住 吉川艶子さん(よしかわ・つやこ)~前編~

芦屋の古き善き時代から、厳しい時代も乗り越えて、さらに美しく活き活きと輝き続ける女性に芦屋での暮らしを語っていただきました。

高級な街並みに、洗練された人々が行きかう芦屋の「現在」。
「その昔は?」と言うと、谷崎潤一郎の『細雪』の世界に見られるような、緑豊かな自然を背景にお屋敷が立ち並び、 美しく上品な乙女たちが笑いさざめく優雅な日常、そんな風景を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
そんな芦屋にも、水害、阪神大震災と、大きな災害にみまわれた歴史が。 芦屋の古き善き時代から、厳しい時代も乗り越えて、スピード感あふれる現在を、さらに美しく活き活きと輝き続ける女性にお会いしました。

吉川艶子さん(79)。とにかく、ご年齢を伺って、驚かない人はいないと思われる、みずみずしい美しさ。 そのキラキラと輝く表情と、コロコロとよく笑うかわいらしいご様子に魅了されてしまいます。 「何をお話ししたらいいのかしら」と、恥らうお姿に、少女の面影が見え隠れすると同時に、 エネルギッシュで凛とした現代的な女性像も持ち合わせていらっしゃる、お手本にしたい芦屋人です。

―どんな幼少時代をお過ごしになられたのですか。

「父、母、姉の4人家族で、今で言う東灘区住吉、当時は、住吉村と言ったんですが、その観音林というところに生まれました。 近くには、住友邸、伊藤邸といった有名なお家もありました。 家の表には、松の木、石垣、芝生、鯉の住む池、茶室、築山、栗林、竹林なんかがありまして、裏門は通用門で、入ったところは、 庭というより、運動場という感じになっていて、鉄棒なんかがありました。でも、こないだテレビでやっていた『華麗なる一族』みたいな、あんなすごいことないんですよ(笑)」
ふふふ、といたずらっこのように笑う吉川さん。ちょっと冗談を交えてお話ししてくださるのは、奥ゆかしさとサービス精神の表れでしょう。

―ゆったりと時が流れていたのでしょうね。

「いえ、家など物質的には恵まれていたんですけれどね。母が、姉と私をそれこそ『蝶よ花よ』と育てようとしていたものですから。 でも、私は精神的には恵まれていなかったんです。母が私を産んでから、足が立たなくなったんです。 当時は、産後の肥立ちが悪い、なんて言われてたんですけれど、調べたら、脊髄カリエスだったんです。 ずっとギブスにベッドの生活で、私は、乳母(おんば)さんに育てられたんです。母に抱かれた経験が一度もないんです。 だけど、私があまりにも、乳母さんを母のように慕うので、私が1つ半か2つくらいのとき、父が『これではいけない』と思って、その乳母さんを解雇したんです。 今でも、彼女が勝手口の柱にしがみついて、わんわん泣いている声をぼんやり覚えています。私も、家の廻り縁をぐるぐる回って、乳母さんを探して名前を呼んでいたようです。 そんなこんなで、私は自分のことを継子(ままこ)やと思ってましたの。 姉は体が弱いので、大切にされて、両親の愛情を一身に受けていたんですが、私は『ほっといても大丈夫』という感じでしたから、本気でそう思ってたんですよ。」 またまた、ふふふ、と笑う吉川さん。今は、笑っておっしゃいますが、当時は小さな胸を痛めておられたことでしょう。 「恵まれていたけれど、『女は勉強などしなくてよい』という時代。 長唄も習って、バレエは、宝塚歌劇団の人を呼んで、教えてもらっていましたけれど、『歌劇に入りたがったら困る』という理由で、やめさせられました(笑)。」

―厳しいお父様だったようですが、お写真を拝見すると、
 かなりハイカラな方だったのではないですか。

「父は結婚前、大正時代に2年かけて、船で世界一周をしたんです。最後はロンドンで3年暮らして、『新しい銀行業を輸入してきた』とよく言ってました。 そんな経験から、うちにはトルコ帽やイギリスの民芸品、ドイツのペーパーナイフなどが当たり前のようにあって、 朝ごはんは当時では珍しいサイフォンでコーヒーを入れて飲んでいたような生活でした。私は父から外国の話を聞くのが大好きで、その頃から、異文化に憧れて、興味を持っていました。」 それが後の吉川さんのライフワークになっていくのですが、それはまた後編でお伝えします。 経済的に不自由のない生活を送っていた吉川さんにも、神戸の水害は例外なく降りかかってきました。 1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて神戸を襲った、阪神大水害です。

―ご自宅も大きな被害を受けられたのですか。

「父は、『銀行が危ない!』と出て行ってしまうし、芝生が泥水に変わってきたのを見て、母はじいやさん、私たち子どもは女中さんが背負って逃げました。 わりあい早くに逃げられたんですけれど、家は土石流で、6畳くらいあるような大きな石が流れてきて1階が埋まりまして、前の家の人が流されていくのを見ました。 近くの方々がだいぶ亡くなって…。水害後は、私たちは御影に引っ越しました。」
幼心に、強烈に印象に残った恐ろしい経験だったことでしょう。 その後、御影に引っ越されて、そこから学校へ通うことに。

―学校時代のお話をお聞かせください。

「甲南へ入りました。入学試験は、『通るだろう』と思っていたので、あまり勉強せずに入ったんですが、 入学式のときに、試験がよくできた生徒が、いろいろ役をさせてもらっているのを見て、『悔しい!』って思ったんです。だから、それからはすごく勉強しました(笑)」
そう、吉川さんには、ただ、恵まれたお嬢様、というだけではない、前向きなパワーがあるのです。

―厳しくも、古き善き時代のお嬢様として少女時代をすごされた
 吉川さんの、今の行動力と前向きさはどこからきたものなのでしょう?

「先祖からの『先取の気性』が引き継がれているんじゃないかと思います。孫たちにもそれが感じられます。 それに、姉が養子をもらったんですが、25歳で亡くなってしまったんです。みなさんに、よく、『つやちゃんは、お姉ちゃんの分も生きてるんやね』と言われるんですよ」 自分の身の上に起こったことを、真摯に受け止めて、素直な気持ちで取り組んでいく、そんなひたむきさや潔さも、本当のお嬢様が持つパワーなのかもしれません。

優雅で高級な街―芦屋。それは昔も今もかわらず引き継がれているようです。 そこに暮らしてきた、美しくて凛々しい芦屋人。後編では、吉川さんの現在のお姿を紹介して、今なお輝く魅力に迫ります。

※掲載している情報は、2007.09.19の情報です。
 そのため記載内容が、最新のものと異なる場合があります。

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