芦屋人たちの軌跡 スペシャルゲスト・インタビューVol.1
(テキスト記事はこちらからご覧ください。)



アメリカプロバスケットボーラー森下雄一郎、27歳。バスケと共に歩む。
日本の子どもってあんまり外で遊ばないじゃないですか、家でテレビゲームばっかやってるっていうか… テレビゲームもええけど、 外で遊ぶ事も大事ちゃうんかなって思うんです。
夢中になって、外で楽しめるものとしてのバスケ。
僕はバスケが全てというか、バスケと出会ってなかったら違う人生歩んでるんちがうかな、 ってくらい夢中になれるものやったんで。
子ども達にそれを伝えられたらええな~って。
初めて出会うこの森下雄一郎という男性は 本人が言うまで27歳とは分からない、 『オーラを感じさせる大人の男性』。
言葉一つ一つに重みがあり、カリスマというか凄みというか…力強い何かがある。
自分の子どもも含めて、子ども達に バスケ、おもろいで、って教えてやりたいんです。
本人自身、バスケに随分と救われ、夢と希望を託し頑張ってきた。
これ程自分が夢中になれたバスケを後の世代にも伝えたい。
そんな彼がおこしたバスケットボールクラブが今芦屋市総合公園の野外コートにて活動しているのだ。
森下雄一郎(もりした・ゆういちろう)
1997 単身で渡米98-99、99-2000と2年連続でNSCAAアシスト王を獲得オールアメリカンに選出される。
2001 米プロマイナーリーグの一つGBAからドラフト1位指名を受け アトランタ・ムースと契約
2002 2002EBAのデラウェア・エクスプレスでプロデビュー
同年 4月過去15年間で134人のNBA選手を輩出した USBLのブルックリン・キングスと契約
同年 11月NBA直轄のNBDLに所属する
2003 再びブルックリン・キングスに所属
同年 6月NY2大ビッグストリートトーナメントの一つWEST4TH で優勝チームのX-MANと契約
同年 7月LA NBAプロサマーリーグのカリフォルニア・サーフと契約
2004 ABAに所属するNJ・スクワイヤーズと契約
同年 6月NBAダラスマーベリックスキャンプに参加
…勿論本人は現役プロバスケット選手。多忙で滅多な事では練習会場にも来る事は 困難を極めるかもしれない。だが指導の中核を担うスタッフ達は皆『まっすぐ』な 森下雄一郎という男性の人柄に惚れ込み指導を行うスタッフ達。
おのずとそのスタッフ達も優秀である事が伺える。
-新潟の震災の時は、野球のね、大家友和選手と共に何か出来る事はないかって 現地に行って、大家選手は100万寄付してはって、僕はそんなお金ぼーんて出せたら いいんですけどないんで代わりにミサンガを100本寄付しました。
それで現地の子ども達に親善試合っていうか、大家選手は野球を、僕はバスケを 子ども達と一緒にプレイして、そんな事しか出来ませんでしたけど向こうでは子どもが めっちゃ喜んでくれて…
お金の寄付も現地の人にとってはありがたいだろうがこうやって現地へ飛んで、 全米で活躍するプロの選手達が自分達とプレイしてくれる、震災のどん底の気分から 立ち直る事の出来た子ども、新しい目標を見出した子どもも多かった事だろう。
改めて技術だけでなく心からのプロスポーツプレーヤーとしての森下雄一郎の すごさをみせつけられる。
…自身のサイトに森下雄一郎の ヒストリー がある。
尼崎で生まれ、西宮で育ちアメリカへ旅立つ。その人間史は非常に興味深く、また魅力がある。
森下雄一郎は現在本人のプロバスケットボーラーとしての自身の活動のみに留まらず、 NPO団体夢現としての活動も行っており、子ども達にバスケと触れ合える場を提供している。しかもなんとこの芦屋で。
自身の子どもを最近流行りのスポーツ塾に通わせるのも手だがどうせ何かスポーツに挑戦するなら、 本当に好きになれるスポーツに挑戦させてみてはいかがだろうか。なんなら親子で参加してみるのもいい。 何かが得られる事は想像に難くない。
バスケというスポーツを通じて音楽についても考える。
そんな楽しくておしゃれで、夢中になれるアメリカのバスケにチャレンジ出来る芦屋の子ども達はなかなかにラッキーなのではないだろうか。 習い事として考えるならばNPO団体である為か密かに格安である事も注目である。
(責任編集:柴田)
※掲載している情報は、2005.04.02の情報です。
そのため記載内容が、最新のものと異なる場合があります。