金津山の黄金

むかし、芦屋地方を治めていた阿保親王(あぼしんのう)は、
打出の地に別荘を建てて村人たちを愛し、親しみをもって接していました。
村人たちも親王さんといって、たいそううやまっていました。
親王は、村人たちに
「もし、自然の災害などで困った時には、この塚を掘って役立てるように」
と、塚に宝物を埋めたといわれており、次のような歌が伝えられています。
朝日さす入日かがやくこの下に金千枚瓦万枚
この塚は金津山(かなつやま)・黄金塚(こがねつか)・金塚(かなつか)
などと呼ばれていますが、百九十年ほどむかしの絵図を見ますと、
街道のすぐ北の田んぼの中に大きい塚があって、そのまわりに道がつくられ
大きな松が描かれています。
「打出名所は、かずかずあれど、わけて名高い黄金塚」と打出のみこしかき
音頭にもうたわれ、街道をいく人びとがおまいりする名所になっていました。
今も金津山は阪神電車「打出駅」の少し北にあります。
民家にかこまれた小高い塚は、「金津山古墳」と呼ばれ、たいせつに守られ、
むかしの打出の風景を伝えています。
参考文献 「摂陽群談」 金津山
「兵庫名所記」 金津山
「芦屋子ども風土記」より転載
芦屋いまむかし
昔は塚の中央に厳島神社の石ほこらがあったそうですが、 明治41年に芦屋神社に合祀されたそうです。
また、このような黄金埋蔵伝説は日本各地に多く伝えられているそうです。
現在の打出町
※掲載している情報は、2005.08.01の情報です。
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