タイムスリップ芦屋 古代の暮らし

芦屋には、縄文時代より人々が住居を構え、暮らしていたそうです。
どんな生活をして、そして時代と共にどのような変化をしてきたのか、古代の芦屋の流れを年表にまとめてみました。

旧石器時代 ~ 縄文時代
人類の生活が始まる

市内最古の「山芦屋遺跡」から住居跡と約8000年前の阪神最古の土器が見つかりました。この頃は狩猟・植物採集を中心とした原始的な生活が行われていたことがわかっています。また、「朝日ヶ丘遺跡」からも縄文時代の物が発掘されています。
朝日ヶ丘遺跡
弥生時代
集落の暮らし

このころから農耕中心へと移り変わり、集落も生まれました。中でも三条町の標高160メートル以上の見晴らしのいい山頂尾根にある「会下山遺跡」は高地性集落と呼ばれるもので、1800年程前の竪穴住居のほか高床式の倉庫や祭祀場の跡が残っています。
会下山遺跡
古墳時代
古代人の足跡
この時代の後期に造られたとされ、六麓荘(ろくろくそう)町から岩園(いわぞの)町に掛けての群集墳でこれまで円墳など62基や須恵器などが発掘されてる「八十塚古墳群」(岩園神社や芦屋神社に現存しています。)が有名です。
また、古代の氏族の始祖や系譜を記した『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には、芦屋漢人(あしやのあやひと)という名も見られ、渡来人による先進文化の地であったこともうかがえます。畿内西辺に位置する芦屋の地は、交通や政治的な面で重要な場所だったのでしょう。


飛鳥時代
大化の改新後
夙川から生田川までの地方は、葦屋郷(あしやごう)・賀美郷(かみごう)がある兎原(うなひ)郡となりました。
平安時代
交通の要所
「延喜式」に「葦屋駅馬十二疋」とある「葦屋駅」がおかれ、京と西国を結ぶ交通の要所でした。
文学と芦屋の街

「伊勢物語」で有名な在原業平は芦屋に住んでいたといわれ京の都からやってきた人々を「布引の滝」ヘ案内したと記されています。芦屋は阿保親王や在原業平ゆかりの地として、多くの和歌集に歌いつがれ、しばしば文学の世界にとりあげられてきました。
在原業平に由来した業平橋
※掲載している情報は、2005.06.01の情報です。
そのため記載内容が、最新のものと異なる場合があります。