| 都市紹介編 第30回(最終回) バルセロナ〜芸術家を育てる街 |
| スペイン第二の都市バルセロナは、地中海性気候に恵まれ、一年中温暖で過ごしやすい街。強い陽射しと明るい空と開放的な街並は、人々の心まで開放してくれます。地中海に面した交通の拠点として、さまざまな文化が行き交った一方で、この地域には独特の文化が育ち、人々はスペイン語でなくカタルーニャ語を話します。そしてこの街は、アントニ・ガウディ以外にも世界的な芸術家、それも独創的で個性的な芸術家を、何人も輩出しているのです。 パブロ・ピカソは10代から20代初めまでバルセロナで過ごし、芸術家としての基礎をはぐくみました。またジョアン・ミロが生まれ、20代半ばまで住んだのもバルセロナ。彼はその後もアトリエを構え、バルセロナを拠点に活動を続けます。サルバドール・ダリは、バルセロナ近郊のフィゲラスという村で生まれ、住まいを転々とした後にフィゲラスに戻り、ここで亡くなりました。 もともとバルセロナはカルタゴ人の都市として建設され、ローマ帝国の都市計画により整備されます。ゲルマンの大移動で流入した西ゴート族に支配されたり、イスラムのウマイヤ朝に征服された時代を経て、9世紀初頭にフランク王国に編入されました。それもつかの間、バルセロナはカタルーニャとして実質的な独立を勝ち取ります。イベリア半島北東部のアラゴンと連合して、遠くアテネに至るまで地中海沿岸を支配した時期もありました。 |
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| スペイン統一で首都がマドリッドに定められると、バルセロナの勢力に陰りが見え始めます。バルセロナ市民がスペイン王室に抵抗し、激しい弾圧を受けたこともしばしば。特に第一次大戦後のスペイン内戦では、自治政府を設けて反体制運動の拠点となりました。前述の3人の画家が活躍したのも、まさにこの頃。このような歴史と風土の中で宿った自由と独立と反骨の精神と、多くの個性的な芸術家が育ったこととは、決して無関係ではないでしょう。 かつて私が大手旅行会社に勤務していた時代、バルセロナ・オリンピック観戦ツアー運営本部の一員として、この街で2週間暮らしたことがありました。先日久々に、当時住んでいたアパートを訪れようとしましたが、街の様子はすっかり変わってしまい、もはやどこにあったかさえ判断がつきません。しかし2週間とは言え、生まれて初めて住んだ異国の街が、偶然にも多くの芸術家を育てた街だったことで、私も少なからず影響を受けているのかも知れません。 (おわり) |
| | | ■橋本亮一 プロフィール | (株)ブルーム・アンド・グロウ代表取締役 IATA-UFTAA International Travel Consultant 総合旅行業務取扱管理者 レイル・エキスパート 日本旅行医学会認定添乗員 |  | | 「お仕着せになりがちなパック旅行では味わえない旅を提供したい」
と、2003年6月、15年間勤めた大手旅行会社を退社後、サロン形式の旅行会社を構え、
その人に合った世界にひとつだけの旅プランを提案。
また、サロンでは週末に「旅の学校」も開講。 | |
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| 芦屋市山手町24-5 TEL:0797-23-8740 E-Mail:travel@bloom-grow.jp |
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|  | | | ピカソ美術館(バルセロナ)局) |
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| 長らくご愛読いただきましたが、「旅と文化のすすめ」は今回が最終回となります。 ご愛読ありがとうございました。 | | | |
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