 | | | | ウィーン市庁舎(フリードリヒ・フォン・シュミット) 1872-83年(ウィーン:オーストリア) | | |
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| 1873年にウィーンで万国博覧会が開催されることになり、それに向けてウィーンは大規模な都市改造に着手しました。
人口増加や交通渋滞を解消する目的で、オスマン・トルコによる2度のウィーン包囲に耐えた強固な城壁を撤去し、その跡に「リンク」と呼ばれる環状道路を作ります。
この時リンク沿いに作られた数々の建築が、今日のウィーンの街並を形作っているのです。 18世紀後半に流行した、古代ギリシアやローマの様式にならおうとする「新古典主義」に対抗して、もっと近い時代のゴシック、ルネサンス、バロックなど、中世ヨーロッパの様式を現代的に解釈し直す、「ネオ・ゴシック」「ネオ・ルネサンス」「ネオ・バロック」が、19世紀に入っておこりました。
リンク沿いにはこれらの建築が立ち並び、さしずめ19世紀の建築博物館と言っていいかも知れません。 中でもウィーン市庁舎は、ロンドンの英国国会議事堂と同様「ネオ・ゴシック」の代表的な建築で、1883年に完成しました。
当時教会以外では、100メートルを超える塔の建築に許可が下りなかったため、やむをえず98メートルの塔の上に9メートルの騎馬像を据えて、合計107メートルにしたそうです。 |
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