 | | | | シュテファン寺院 12世紀頃〜1433年 (ウィーン・オーストリア) | | |
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| ハプスブルグ家は、スイスの小さな領主でした。
“扱いやすくて害がない”という理由で、一族のルドルフ1世が神聖ローマ皇帝に選ばれたものの、
独立を求める地元の農民たちから追放される始末。そして流れ着いた場所が、小さな辺境地ウィーンだったのです。 ウィーンで彼らが最初に取り組んだのは、シュテファン寺院を壮大なゴシック様式に建て直すこと。
“太陽の沈まない王国”は、ここからスタートします。 どういう訳だかハプスブルグ家の人々は、亡くなると心臓は銀の壷に入れて王宮内のアウグスティーナ教会へ、
その他の内臓は銅の壷に入れてシュテファン寺院へ、遺骸は金属製の棺に入れて王宮近くのカプツィーナ教会(皇帝納骨所)へと、分けて納められました。
シュテファン寺院の地下、狭くて暗いカタコンベ(地下墓所)の棚に黒ずんだ壷が並び、それはもう何とも表現しがたい雰囲気です。 シュテファン寺院から5キロ南西には、ハプスブルグ全盛時代の象徴、シェーンブルン宮殿があります。
もともと狩猟の館として建てられた建物でしたが、ヴェルサイユ宮殿に負けない宮殿を造ろうと、バロック様式の宮殿へと改築が始まります。
完成させたのは、女帝マリア・テレジア。ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を完成させてから、およそ100年後のことでした。
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