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芦屋発 旅と文化のすすめ
 都市紹介編 第24回 ウィーン〜ハプスブルグの遺産
シュテファン寺院 12世紀頃〜1433年
(ウィーン・オーストリア)
 ハプスブルグ家は、スイスの小さな領主でした。 “扱いやすくて害がない”という理由で、一族のルドルフ1世が神聖ローマ皇帝に選ばれたものの、 独立を求める地元の農民たちから追放される始末。そして流れ着いた場所が、小さな辺境地ウィーンだったのです。
 ウィーンで彼らが最初に取り組んだのは、シュテファン寺院を壮大なゴシック様式に建て直すこと。 “太陽の沈まない王国”は、ここからスタートします。
 どういう訳だかハプスブルグ家の人々は、亡くなると心臓は銀の壷に入れて王宮内のアウグスティーナ教会へ、 その他の内臓は銅の壷に入れてシュテファン寺院へ、遺骸は金属製の棺に入れて王宮近くのカプツィーナ教会(皇帝納骨所)へと、分けて納められました。 シュテファン寺院の地下、狭くて暗いカタコンベ(地下墓所)の棚に黒ずんだ壷が並び、それはもう何とも表現しがたい雰囲気です。
 シュテファン寺院から5キロ南西には、ハプスブルグ全盛時代の象徴、シェーンブルン宮殿があります。 もともと狩猟の館として建てられた建物でしたが、ヴェルサイユ宮殿に負けない宮殿を造ろうと、バロック様式の宮殿へと改築が始まります。 完成させたのは、女帝マリア・テレジア。ルイ14世がヴェルサイユ宮殿を完成させてから、およそ100年後のことでした。
 シェーンブルン宮殿の外壁は、「テレジアン・イエロー」と呼ばれる黄色一色に塗り替えられました。 一説には、マリア・テレジアが黄色を好んだという訳ではなく、夫フランツ1世が金箔の外壁にしようとしたところ、 財政難のため、黄金色に近い黄色が採用されたとか。
 クラヴィーア(ピアノの原型)を演奏した6歳のモーツァルトが、床に足を滑らせて転び、 1歳年上の王女マリー・アントワネットに助けられたのも、シェーンブルン宮殿の一室でした。 その時彼が、「僕と結婚してあげる」と言ったのは有名なエピソード。 そのモーツァルトの結婚式は、シュテファン寺院で行なわれました。 お相手は、もちろんマリー・アントワネットではありません。ちなみにモーツァルトの葬儀もまた、このシュテファン寺院で行なわれています。
■橋本亮一 プロフィール
(株)ブルーム・アンド・グロウ代表取締役
IATA-UFTAA International Travel Consultant
総合旅行業務取扱管理者
レイル・エキスパート
日本旅行医学会認定添乗員
「お仕着せになりがちなパック旅行では味わえない旅を提供したい」 と、2003年6月、15年間勤めた大手旅行会社を退社後、サロン形式の旅行会社を構え、 その人に合った世界にひとつだけの旅プランを提案。 また、サロンでは週末に「旅の学校」も開講。
芦屋市山手町24-5 TEL:0797-23-8740
E-Mail:travel@bloom-grow.jp
シェーンブルン宮殿 1693〜1749年
(ウィーン・オーストリア)
 このコラムは毎月更新(次回は2008年6月16日)です!お楽しみに…
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