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芦屋発 旅と文化のすすめ
 都市紹介編 第12回 パリC〜オルセー美術館その2
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
(ピエール・オーギュスト・ルノワール)
1874年(オルセー美術館:パリ・フランス)
 1874年、マネのもとに集まっていた官展(サロン)に批判的な若い画家たちが、自分たちの展覧会を開催しました。 出展したのは、モネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、シスレー、ピサロ、モリゾら。 今見るとそうそうたる顔ぶれですが、当時は全く評価されませんでした。 後に「印象派展」と呼ばれるこの展覧会が、絵画史を塗り替えることになるなど、一体誰が想像したでしょう。
 印象派の画家たちは、眼に映るものを感覚的に捉え直し、時に光の粒子さえ描こうとします。 チューブ入り絵の具を使って、イーゼルを立てて屋外で描くという方法も確立しました。 そして作品に何か意味を持たせるのではなく、光と色彩とをそのまま写し取り、現代生活を生き生き表現しようとしたのです。
 中でもモネは、光の“うつろい”をもれなくキャンバスに描こうとした画家です。 実際、光によって変化するルーアン大聖堂や睡蓮を題材に、何枚も何枚も絵を描きました。 パリのオランジュリー美術館にある「睡蓮」の連作は、まさに圧巻です。
 「女性の乳房と尻がなければ、私は絵を描かなかった」と語るルノワールは、キャンバスの表面で色を柔らかくぼかす手法を使って、 生きる喜び、絵を描く喜びを表現しました。 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」は、モンマルトルにあった庶民的なダンスホールの男女を描いたもので、 それは新しいパリの生活の象徴でもありました。
 ドガが好んで描いた題材は、馬と踊り子。動きのあるものを徹底的に観察し、大胆なアングルや配置を使い、 わざと人物を切ったり片寄らせたりして、まるでスナップ写真を見るかのような、リアルな雰囲気を作り上げたのです。 「エトワール」でも、上から見下ろす非常に大胆なアングルで、踊り子を生き生きと描いています。
 印象派の父マネは、印象派として扱われることを嫌っていたようです。 実際彼は、印象派展に一度も出展しなかったばかりか、サロンでの入選にこだわります。 そしてようやく入選した「オランピア」は、露骨に娼婦を描いたものだとして、またしても酷評を受けるのです。
■橋本亮一 プロフィール
(株)ブルーム・アンド・グロウ代表取締役
IATA-UFTAA International Travel Consultant
総合旅行業務取扱管理者
レイル・エキスパート
日本旅行医学会認定添乗員
「お仕着せになりがちなパック旅行では味わえない旅を提供したい」 と、2003年6月、15年間勤めた大手旅行会社を退社後、サロン形式の旅行会社を構え、 その人に合った世界にひとつだけの旅プランを提案。 また、サロンでは週末に「旅の学校」も開講。
芦屋市山手町24-5 TEL:0797-23-8740
E-Mail:travel@bloom-grow.jp
エトワール(エドガー・ドガ)
1876-77年
(オルセー美術館:パリ・フランス)
 このコラムは毎月更新(次回は2007年5月16日)です!お楽しみに…
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