トップページ芦屋人・街サーチ芦屋のお店大集合芦屋人掲載プラン芦屋人業務案内サイトマップ
芦屋発 旅と文化のすすめ
 都市紹介編 第9回 パリ@〜ヴェルサイユ
ヴェルサイユ宮殿(ル・ヴォー、マンサール)
1661-70年(ヴェルサイユ:フランス)
 17世紀後半以降のバロック文化を担ったのは、絶対的権力を確立した国王たちで
した。 とりわけフランスのルイ14世は、自分の権力を誇示しようと、バロック様式
壮大な宮殿をパリ郊外のヴェルサイユに造ります。
 ヴェルサイユ宮殿のモデルは、時の大臣ニコラ・フーケが造ったヴォー・ル・ヴィコント城です。 落成式典に招かれたルイ14世は、そのあまりの美しさと豪華さを目の当たりにして、激しい嫉妬にかられたのでしょう。
公金横領の罪を着せてフーケを失脚させ、設計を手がけた建築家ル・ヴォー、画家で室内装飾家のル・ブラン、 造園家ル・ノートルの3人に、もっと豪華な宮殿を造るよう命じます。
 1715年にルイ14世が死去すると、緊張感から解放された宮殿内に退廃的な空気が漂い、繊細で軽薄なロココ様式が好まれるようになりました。 国家や政治のことより、その場限りの楽しみを求めるようになったのです。 マリー・アントワネットが政略結婚で、ウィーンのハプスブルグ家からルイ16世に嫁いだのは、まさにこのような時代でした。 宮殿の堅苦しい生活と夫との不仲のため、マリー・アントワネットはヴェルサイユでの生活に、すぐに嫌気がさしました。
夫からプレゼントしてもらった、庭園の一角にある小さな離宮プチ・トリアノンで、毎日おしゃべりやゲーム、舞踏会などに興じたのです。 ヴェルサイユ宮殿の、壮大で整然としたフランス式庭園と対照的に、彼女はプチ・トリアノンに、自然豊かで牧歌的なイギリス式庭園を作らせました。 庭園内にある「愛の神殿」とはまさに、彼女が愛人と密会をしていた場所だと言われています。
 フランス革命で処刑台に上がった時、マリー・アントワネットは37歳。繊細で享楽的なロココ趣味や牧歌的な庭園を見るにつけ、 実は人生や権力のはかなさを、予感していたのではないかと感じてしまいます。 ヴェルサイユを訪れるなら、半日ほど余分に時間を取って、プチ・トリアノンまで脚を伸ばしてはいかがでしょうか。
■橋本亮一 プロフィール
(株)ブルーム・アンド・グロウ代表取締役
IATA-UFTAA International Travel Consultant
総合旅行業務取扱管理者
レイル・エキスパート
日本旅行医学会認定添乗員
「お仕着せになりがちなパック旅行では味わえない旅を提供したい」と、2003年6月、15年間勤めた大手旅行会社を退社後、サロン形式の旅行会社を構え、その人に合った世界にひとつだけの旅プランを提案。また、サロンでは週末に「旅の学校」も開講。
芦屋市山手町24-5 TEL:0797-23-8740
E-Mail:travel@bloom-grow.jp
プチ・トリアノン庭園内「愛の神殿」
1777年頃(ヴェルサイユ:フランス)
 このコラムは毎月更新(次回は2007年2月16日)です!お楽しみに…
■旅と文化のすすめ バックナンバー■
Vol.001/Vol.002/Vol.003/Vol.004/Vol.005/Vol.006/Vol.007/Vol.008/Vol.009/Vol.010/Vol.011/Vol.012/
Vol.013/Vol.014/Vol.015/Vol.016/Vol.017/Vol.018/Vol.019/Vol.020/Vol.021/Vol.022/Vol.023/Vol.024/
Vol.025/Vol.026/Vol.027/Vol.028/Vol.029/Vol.030/Vol.031/Vol.032/Vol.033