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芦屋発 旅と文化のすすめ
 都市紹介編 都市紹介編 第6回 フィレンツェA〜ルネサンス建築
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
11-13世紀(フィレンツェ・イタリア)
写真撮影:Noboru Kawagoe
 「ルネサンス」でふれたフィレンツェ大聖堂の建築の裏には、二人のライバルの激しい戦いがありました。
 大聖堂の建築に先立って行われたのが、すぐ隣にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂のブロンズ扉のコンクール。 ブルネレスキが作った彫刻があまりにインパクトがありすぎたため、ライバルのギベルティにわずかな差で敗れます。 傷心のブルネレスキは、いずれ見返してやろうとローマへ向かったのかも知れません。 そのローマで、東ローマ帝国出身の建築家たちから、古代ローマのドームやアーチの技術を学びます。
 実はブルネレスキの案が採用になってからも、大聖堂建築の責任者はギベルティでした。 しかしギベルティが工事に失敗して多額の損失を出したため、 突然ブルネレスキに責任者の役割がまわってきます。 そして見事に美しいドームを完成させ、ルネサンス建築の幕を開けたのです。
 その後フィレンツェには、バランスのとれたルネサンス建築が立ち並びます。ここでは、ギリシア建築やローマ建築のように、 “目の錯覚”が数多く利用されました。つまり、1階部分の壁の石は大きく天井は高くして、上へ行くにつれ、 壁の石を小さくまたは塗り壁にして天井を低くするのです。すると下から見上げれば、実際以上に建物が大きいと錯覚を起こすのです。
 メディチ家が銀行業で得た利益をつぎ込んで、フィレンツェは一躍文化の中心となりました。ルネサンス様式で宮殿や邸宅を作っただけでなく、ボッティチェリミケランジェロなど芸術家の“パトロン”として、ルネサンス文化の発展を支えます。
 ちなみにメディチ家に生まれフランス王室に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスは、フランスにナイフとフォークを持ち込みました。 それまでのフランス料理は、手で食べるのが当たり前でした。またアイスクリームをフランスに伝えたのも、カトリーヌだと言われています。
■橋本亮一 プロフィール
(株)ブルーム・アンド・グロウ代表取締役
IATA-UFTAA International Travel Consultant
総合旅行業務取扱管理者
レイル・エキスパート
日本旅行医学会認定添乗員
「お仕着せになりがちなパック旅行では
味わえない旅を提供したい」と、2003年6月、15年間勤めた大手旅行会社を退社後、サロン形式の旅行会社を構え、その人に合った世界にひとつだけの旅プランを提案。また、サロンでは週末に「旅の学校」も開講。
芦屋市山手町24-5 TEL:0797-23-8740
E-Mail:travel@bloom-grow.jp
フィレンツェの夜の街並
写真撮影:Masaharu Fuse
 このコラムは毎月更新(次回は2006年11月16日)です!お楽しみに…
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