 | | | エトワール凱旋門(ジャン・フランソワ・シャルグラン) 1806-1836年(パリ・フランス) 写真提供:フランス政府観光局 | |
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| ヨーロッパ文化の大きな転換点は、 フランス革命でした。ルイ16世とマリー・アントワネットの処刑は、市民の時代が始まる象徴となったのです。 このドサクサの中で台頭したのが、ご存知ナポレオン。当時ポンペイ遺跡の発掘が進んでおり、古代ギリシア・ローマへの関心が高まっていました。 ナポレオンはとりわけ古代ローマ皇帝に強く憧れ、凱旋門やマドレーヌ寺院など、古代ギリシア・ローマ風の建物をパリに作るよう、次々と指示を出します。お抱えの画家には、ギリシア彫刻ばりの端正でバランスの取れた表現で、壮大なスケールの肖像画を描かせます。この時代に花開いた古代ギリシア・ローマ風の文化を、「新古典主義」と呼びます。 ちなみにナポレオンは凱旋門の完成を見ることなく失脚、病死し、皮肉にも遺体となって凱旋門を通るのでした。
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