―厳しいお父様だったようですが、お写真を拝見すると、 かなりハイカラな方だったのではないですか。 |
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| 「父は結婚前、大正時代に2年かけて、船で世界一周をしたんです。最後はロンドンで3年暮らして、『新しい銀行業を輸入してきた』とよく言ってました。
そんな経験から、うちにはトルコ帽やイギリスの民芸品、ドイツのペーパーナイフなどが当たり前のようにあって、
朝ごはんは当時では珍しいサイフォンでコーヒーを入れて飲んでいたような生活でした。私は父から外国の話を聞くのが大好きで、その頃から、異文化に憧れて、興味を持っていました。」
それが後の吉川さんのライフワークになっていくのですが、それはまた後編でお伝えします。
経済的に不自由のない生活を送っていた吉川さんにも、神戸の水害は例外なく降りかかってきました。
1938年(昭和13年)7月3日から5日にかけて神戸を襲った、阪神大水害です。 |
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| ―ご自宅も大きな被害を受けられたのですか。 |
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「父は、『銀行が危ない!』と出て行ってしまうし、芝生が泥水に変わってきたのを見て、母はじいやさん、私たち子どもは女中さんが背負って逃げました。
わりあい早くに逃げられたんですけれど、家は土石流で、6畳くらいあるような大きな石が流れてきて1階が埋まりまして、前の家の人が流されていくのを見ました。
近くの方々がだいぶ亡くなって…。水害後は、私たちは御影に引っ越しました。」 幼心に、強烈に印象に残った恐ろしい経験だったことでしょう。
その後、御影に引っ越されて、そこから学校へ通うことに。 |
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| ―学校時代のお話をお聞かせください。 |
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「甲南へ入りました。入学試験は、『通るだろう』と思っていたので、あまり勉強せずに入ったんですが、
入学式のときに、試験がよくできた生徒が、いろいろ役をさせてもらっているのを見て、『悔しい!』って思ったんです。だから、それからはすごく勉強しました(笑)」 そう、吉川さんには、ただ、恵まれたお嬢様、というだけではない、前向きなパワーがあるのです。 |
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―厳しくも、古き善き時代のお嬢様として少女時代をすごされた 吉川さんの、今の行動力と前向きさはどこからきたものなのでしょう? |
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| 「先祖からの『先取の気性』が引き継がれているんじゃないかと思います。孫たちにもそれが感じられます。
それに、姉が養子をもらったんですが、25歳で亡くなってしまったんです。みなさんに、よく、『つやちゃんは、お姉ちゃんの分も生きてるんやね』と言われるんですよ」
自分の身の上に起こったことを、真摯に受け止めて、素直な気持ちで取り組んでいく、そんなひたむきさや潔さも、本当のお嬢様が持つパワーなのかもしれません。 |
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| 優雅で高級な街―芦屋。それは昔も今もかわらず引き継がれているようです。
そこに暮らしてきた、美しくて凛々しい芦屋人。後編では、吉川さんの現在のお姿を紹介して、今なお輝く魅力に迫ります。 |
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